平櫛田中先生のアトリエ
訪問日 2009年04月25日



本日25日、谷中の「いろはに木工所」を久しぶりに訪問。
木下さんから平櫛田中先生のアトリエを本日のみ開放
するのでよかったら行ってきたら!……とのお話でした。
☆4月25日のみ見学が出来、以後の計画は未定です。

 
住所は上野桜木2丁目でアトリエの裏は谷中霊園でした。




平櫛田中(でんちゅう)先生の略歴


   岡山県井原市西江原町の田中家に生まれ、1882年(明治15年)に広島県福山市今津町の
平櫛家の養子になったが、旧姓を通称に用いていた。
   1893年(明治26年)に、大阪の人形師・中谷省古に弟子入りし木彫の修行をした。  
   1937年(昭和12年)帝国芸術院会員となり、1944年(昭和19年)東京藝大の教授に招聘され
 第二次世界大戦後も教壇に立った。明治末期から大正初期にかけて岡倉天心に師事。

東京藝大構内の六角堂には、田中作の「岡倉天心像」が安置されている。
天心を敬愛していた田中は、藝大勤務時代には登校のたびに自作の像に最敬礼した。
1958年(昭和33)彼の超大作「鏡獅子」は、戦中のブランクを経て二十年をかけて完成したが、
モデルの尾上菊五郎 (6代目)はすでに故人となっていた。現在 「国立劇場」に展示されている。

    1962年(昭和37年)文化勲章受章。 1965年(昭和40年)東京藝大名誉教授。
    1972年(昭和47年)出身地の井原市が主催し平櫛田中賞を設けた。

   108歳の長命であったが、死の直前まで創作を続ける。
   没後、彼のアトリエには30年以上も製作できるだけの彫刻用の材木があった。
   この材木を利用して、井原市の田中美術館に上野桜木町のアトリエが再現した。
   1979年(昭和54年)東京都小平市の自宅で逝去。

   写実的な作風で、高村光雲、荻原碌山、朝倉文夫などと並び、
日本近代を代表する彫刻家の一人である。
代表作は国立劇場にある「鏡獅子」や、「烏有先生(うゆうせんせい)「転生」
「五浦釣人」(いづらちょうじん)などがある。


アトリエの見学

このアトリエは大正8年に建設されている。
アトリエ以外の和室などは大正12年に増築と聞くが、補修工事もしていないので、
アトリエも含め早急に補修工事が必要と感じたが、井原市へ寄贈しているらしく
簡単には補修も出来ない状況らしい。
可能であれば台東区や他の団体と共に補修工事を繰り返し将来のため
にも残したい建築物であると感じた。


2階の和室に各部屋の図面がありました。


上の図面でも解るように120度?の角度が付いています。


正面玄関を中から写しました。



谷中・上野桜木とのかかわり  (上記を転記しました)

旧田中亭のある台東区谷中・上野桜木一帯は、江戸時代から続く寺町である。
上野桜木地区は、元東叡山寛永寺の領域であったが、明治維新後に宅地化が
進められた土地であった。上野公園内に東京美術学校(明治22年 1889年)
が開校したことにより、この地には多くの文人や画家が集まり、また芸術家の
道を志す若者たちの生活や制作活動の場として文化的気風の漂う街が形成
されていった。 田中はこのような環境で制作活動に勤しんだが、
彼は地元の人達との親交も厚かった。

かって田中が住んだ西日暮里にある諏訪神社氏子町会の天茶振興会には
狛犬一対を、東桜木町会の獅子頭や掛け軸など贈られ、
現在でもまつりの時は、両町会ともこれをお神酒所にかざり田中を偲んでいる。
また、田中の子供たちが通った谷中小学校には、彼の寄付による平櫛田中
小学校基金があり、図書などを購入して教育に役立てている。
田中は彫刻制作を通して、地域の人々との幅広い交流を深めていたのである。

いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる
谷中小学校にも寄贈されています。 画像は「平櫛田中彫刻美術館だより」から)



アトリエの様子





一階の左がアトリエで北窓の明るい部屋、周囲のガラスは本棚との事でした。


天井まである北窓 (直射日光が入らないので良いとのお話)


アトリエの説明書


何でしょうか?アトリエにありました。(日本紙に書かれた文字)


玄関を入って右側の部屋 (手前は茶の間・奥はキッチン?))


2階の和室 一間の床の間でした。


2階和室から見た北側は谷中霊園でした。


和室に置かれた展示会の本 (下記の2枚はこの本から…)


素晴らしい彫刻ですね!(迫力がすごい)


書も素晴らしい!

 
和室から縁側沿いの様子


2階の和室から見た家の角度(約120度)が何とも良いですね!

 
和室から一階に下りる階段


私が帰る時は門がしまっていました。

いずれにしてもなかなか立派な建物でした。
何とか将来のために残すべき建造物だと思い帰宅しました。



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