【彫塑館は、08年03月の官報告示で「国の名勝」に正式に選定】
![]() 朝倉彫塑館の玄関 ![]() ![]() アトリエ屋上の彫刻 (アトリエには屋上庭園があります) このアトリエの奥は、純和風の居室で中央に天然水の湧き水を利用した日本庭園がある。 この池泉の庭は、「五典の水庭」と呼び「仁・義・礼・智・信」の石が配置され、池に鯉が泳いでいる。 何とも静かで心が落ちつき、吹き寄せる風は涼しく夏の暑さを忘れる庭園である。 ![]() 一階の和室から見る日本庭園 和室から眺める中庭、都会の騒がしさが全く感じられない雰囲気がなんとも良い。 ![]() 2階の和室 洋館・和室・日本庭園ともに、細かい配慮の設計に感嘆するばかり。 ![]() 和室から、この庭をゆっくり見る心の余裕を持ちたいものだ。中庭を眺めると、 なぜか「心が落ち着く」だから時々来る!と言う女性も多い。 ![]() 奥に和室の門、ココが和室玄関となる。 ![]() 和室玄関からの庭とお座敷 ![]() 和室玄関脇のつくり ![]() 和室へ入る門から撮影したもので、奥に玄関が見える。 **************** ****************
日本が西洋文化を進める明治時代、西洋式彫刻の基礎力がまだ弱かった時代、 日本の近代彫塑は朝倉文夫(1883〜1964)の才能と技術によって 飛躍的な進歩を遂げました。 朝倉は明治35年に大分県から上京し実兄の彫刻家「渡辺長男」のもとで彫塑と 出会い、翌年東京美術学校へ入学します。若くして文展に入選、 綬章を重ねることで作家としての地盤を固めます。 当時、多くの若者が夢見た洋行はかないませんでしたが、朝倉は日本における 彫塑表現の道を自ら切り開き、大正から戦後にかけて官展や教育現場で{彫刻界 の中心的存在として活躍します。 朝倉は成熟したアカデミズムの育成を志し、展覧会や学校、 門下生にを指導する場で実践を続け「ました。 その働きは、今日の日本彫刻界も影響を残しています。 朝倉は、自然を師としてそこから学ぶ姿勢を終生変えることは有りませんでした。 その姿は自身で設計した{住居アトリエ「(彫塑館)の随所に表れています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() **************** **************** |
目次 次の「谷中銀座」へ 三崎坂 (朝倉彫塑館) 谷中銀座 天王寺 谷中五重塔 瑞輪寺 旧吉田屋酒店 浄名院から寛永寺そして一乗寺 根津の街 根津神社 根津と串かつはん亭 散策コース外 このページのトップへ 「東京の下町散策」に戻る 「いわおの部屋」トップに戻る |