東京の下町「散策
朝倉彫塑館

地図:谷中・根津へ

彫塑館は、08年03月の官報告示で「国の名勝」に正式に選定
朝倉文夫が、この谷中に居を構えたのは明治42年(24歳)。
昭和3年までは、小さなアトリエと住居であった。
この彫塑館は自ら設計、建設は昭和3年から7年の歳月を費やした「アトリエと住居」です。



09・03・29の玄関前


平成21年4月1日から平成25年3月(予定)まで
理由:見学の安全確保と国指定名勝の文化財保護から、
保存修復工事を実施するとのお話です。


朝倉文夫コレクション展(2010・6.4)から入手



アトリエについて

 アトリエは鉄筋コンクリート造りであり、天井の高さが13mと高い。
床下にピットがあり彫塑制作の昇降装置が設置され、
  制作台はボタン一つで動くものらしい。

このアトリエのほか館内に約50点の作品が展示されているが、
写真が撮れずここでは紹介出来ない。
朝倉氏の代表作品である「墓守」「進化」「時の流れ」「大隈重信像」
「九世団十郎之像」などがある。

 「朝倉文夫」氏は明治16年(1883年)誕生、大分県出身。
文化勲章受章者で近代彫刻の基礎を築いた。
昭和39年(1964年)81歳で他界。



朝倉彫塑館「国の名勝」に!
朝倉彫塑館の玄関

   

朝倉彫塑館は「洋館と日本建築」両方の良さが解ります。
アトリエ屋上の彫刻   (アトリエには屋上庭園があります)

このアトリエの奥は、純和風の居室で中央に天然水の湧き水を利用した日本庭園がある。
この池泉の庭は、「五典の水庭」と呼び「仁・義・礼・智・信」の石が配置され、池に鯉が泳いでいる。
何とも静かで心が落ちつき、吹き寄せる風は涼しく夏の暑さを忘れる庭園である。

朝倉彫塑館は「洋館と日本建築」両方の良さが解ります。
一階の和室から見る日本庭園 
和室から眺める中庭、都会の騒がしさが全く感じられない雰囲気がなんとも良い。

なんとも素晴らしい建築で、細かいところに気を配っています。
2階の和室 洋館・和室・日本庭園ともに、細かい配慮の設計に感嘆するばかり。

 中庭がまた素晴らしい!
和室から、この庭をゆっくり見る心の余裕を持ちたいものだ。中庭を眺めると、
なぜか「心が落ち着く」だから時々来る!と言う女性も多い。

どこを見ても「隙のない設計」に感嘆させられます。
奥に和室の門、ココが和室玄関となる。

どこを見ても「隙のない設計」に感嘆させられます。
和室玄関からの庭とお座敷

どこを見ても「隙のない設計」に感嘆させられます。
和室玄関脇のつくり

玄関までの「石組み」が良いですね。いたるところに日本庭園の良さが!
和室へ入る門から撮影したもので、奥に玄関が見える。



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朝倉文夫コレクション展

上野の芸術大学美術館開催(2010・04・06〜06・06)
訪問日:2010年6月4日
コレクション展のパンフレット一部を修正し、ココに載せさせていただきました。



日本が西洋文化を進める明治時代、西洋式彫刻の基礎力がまだ弱かった時代、
 日本の近代彫塑は朝倉文夫(1883〜1964)の才能と技術によって
飛躍的な進歩を遂げました。
 朝倉は明治35年に大分県から上京し実兄の彫刻家「渡辺長男」のもとで彫塑と
 出会い、翌年東京美術学校へ入学します。若くして文展に入選、
綬章を重ねることで作家としての地盤を固めます。
 当時、多くの若者が夢見た洋行はかないませんでしたが、朝倉は日本における
 彫塑表現の道を自ら切り開き、大正から戦後にかけて官展や教育現場で{彫刻界
 の中心的存在として活躍します。

 朝倉は成熟したアカデミズムの育成を志し、展覧会や学校、
門下生にを指導する場で実践を続け「ました。
 その働きは、今日の日本彫刻界も影響を残しています。
 朝倉は、自然を師としてそこから学ぶ姿勢を終生変えることは有りませんでした。
 その姿は自身で設計した{住居アトリエ「(彫塑館)の随所に表れています。


















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