| 下町散策「谷中・根津」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
天王寺を左に見て道を進むと東京でも珍しい駐在所があり、 ここに「谷中の五重塔跡」がある。
今年は、谷中五重塔が焼失して50年、また幸田露伴没後60年にあたります。 幸田露伴の五重塔再建を願って、今回 台東区の谷中コミュニティセンターにおいて 「谷中五重塔記念イベント」 が開かれました。 ![]() 主催者の野池幸三 氏 (谷中地区町会連合会 会長)
[基調講演] ![]() 芸大名誉教授・前野まさる様による谷中五重塔の講演 ![]() 1772年に消失後、1791年(寛政3年)に建立 1957年(昭和32年)に放火心中で全消した。 ![]() 復元的再建とは、新技術を導入せず従来の五重塔と同一品を建設する。 この五重塔を建立することで、江戸の文脈を広く国民に呼び覚ます機会となり誇りとなる。 現在ではまだ職人もおり、今が再建のチャンスである!との報告もあった。 「谷中五重塔 今、昔、これから」を語る ![]() 右: 浦井正明 様 (東叡山寛永寺 執事長) 中: 海老名香葉子 様 (エッセイスト) 左: 野池幸三 様 (谷中地区町会連合会 会長) 上記3名の方々からお話があり、いずれも谷中五重塔にまつわる懐かしいお話でした。 この谷中の街並みに五重塔が似合う!と皆様 が強調されておりました。 いずれにしても、簡単に建設出来るものではないため、これから地道な活動が必要。 まず、地域の住民をはじめ多方面から「五重塔の再建」の署名活動を実施していきたい! 今年の「谷中まつり」では、積極的に署名運動を行っていく。 建設費用も台東区や東京都だけでなく、全国から広く支援を頂く必要があろうと・・・・。 ![]() 海老名香葉子 様 爆笑王の林家三平は、1979年の正月に脳溢血で倒れる。 一週間の昏睡後、右半身が麻痺し言語障害が生じたがリハビリを重ね年末に奇跡の復帰。 しかし、翌年秋には肝臓ガンで入院、間もなく他界。享年54歳。 このリハビリのために、根岸からこの五重塔跡に香葉子さんと来られたそうです。 当時の派出所、櫻さんに大変お世話になったとのことですが、 三平は、この五重塔跡に「新しく五重塔が再建されるといいなー」と言っていたそうです。 ******** ******** 当日貴重な意見が出ました! 五重塔の再建について千葉大教授?のお話があり、欅の材料を提供していただける 方々がいれば安価に再建できるよう協力できる。とのお話が出ました。 現在1/5程度の模型を製作中、完成出来れば五重塔跡に建てたい!との事でした。 ☆ 当日、TBSの撮影がありました。そのうちテレビでの放映があるかも・・・・ ![]() この記事は「東京新聞 07年08月03日」から 「まずは地元から署名運動を展開する」とある。
人が集まる事で、門前町が出来て境内の入り口付近に茶屋が出来た。 中でも、いろは茶屋には、江戸三美人の一人と言われた「笠森おせん」がいて人気を呼んだ。 明治になって谷中霊園となり、茶屋町は墓参の休憩所をかねた花屋となっている。 ![]() 今も残る茶店町の 左:三原家 右:おもだかや ![]() 三原家の看板 ![]() 茶屋町「おもだかや」の全景 ![]() 「おもだかや」の看板 ![]() おもだかやの家を描く岡本忠士さん この写真は08・04・06に撮影しましたが、04・09にまたお逢いしました。 ☆画家「岡本忠士さん」の個展☆ 場所:銀座の東京交通会館地下1階 2009年5月31日から6月6日 「谷根千・深川・新木場」を開催予定です。 ![]() 茶屋町通りの「花重」 明治3年創業 ☆この花重を通り越して広い通りに出たらこの道を右にバックします。 千駄木駅方向に向かう事になりますが、約200mほど歩くと 雑貨屋さんがありますのでココを左に曲がります。 ココから約100mほど進み右に曲がると瑞輪寺があります。 目次 三崎坂 朝倉彫塑館 谷中銀座 (谷中五重塔) 瑞輪寺 旧吉田屋酒店 浄名院から寛永寺そして一乗寺 根津の街と根津神社 根津と串かつはん亭 散策コース外 このページのトップへ 「東京の下町散策」に戻る 「いわおの部屋」トップに戻る 制作 大野 巌 |
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