下町散策「谷中・根津」
谷中五重塔

地図:谷中・根津へ

天王寺を左に見て道を進むと東京でも珍しい駐在所があり、
ここに「谷中の五重塔跡」がある。
この五重塔は、天保元年(1644年)谷中霊園が感応寺の時に建築したもの。
明和9年(1772年)の大火で焼失。 しかし19年後の寛政3年(1791年)に再建した。 

震災・戦災もくぐりぬけ、谷中に聳える自慢の五重塔だった。
「上野寛永寺」・「浅草浅草寺」・「池上本門寺」を合わせ“江戸四塔”と言われた。


明治期、この天王寺町に住む幸田露伴が、
この塔をモデルに名作「五重塔」を世に出した。
だが、昭和32年(1957年)に放火心中で焼失したのだ。
高さは九輪を含めて11丈2尺8寸(約34m)の三間四方。
名棟梁八田清兵衛が47人の大工を使い、 一年半の日時を費やした。
塗装はなく落ち着いたもの。
日本にある五重塔では特に美しい塔と言われた。

谷中の五重塔跡は土台のみ残っています。
谷中の五重塔跡

昭和32年7月6日午前3時40分ごろ五重塔から出火。はしご車など17台が出動したが、
天王寺は高台のため水圧が低く手が出せなかった様だ。
燃え上がる炎は強く、比較的離れた石塔も手を触れる事が出来ないほど熱かった。
約3時間ほど燃え続け全焼し、私も一晩中燃え尽きるまで見ていた。
この火事を知った約1万人のヤジウマが集まったらしい。


  幸田露伴の令嬢 作家の「幸田文」さんも文京区から駆けつけ、
  「父の書いた五重塔が燃える・・・」とぼう然と立ちつくしたらしい。

谷中在住51年の「朝倉文夫」氏は、関東と関西を折衷した塔、
 屋根の線が独特の美しさを持っていた。
関東大震災で塔が揺れるのを見たが、焼けるのまで見ようとは…。
と嘆息したと言う。

焼け跡から男女二遺体を発見。男性は「目白の洋裁店」の
職人48歳(既婚)の女性は同店員の22歳。
一升瓶に灯油を持ち込み撒いて火をつけ、睡眠薬を呑みかなわぬ恋を
   「五重塔を道ずれ」 に清算したらしい。



      
優美な五重塔と燃える五重塔


焼け落ちた五重塔

明治3年の実測図が残っているとの事。
この複雑な時代、再建は容易ではないと思うがいつの日か復元願いたい。
五重塔跡地の土台を見ると、復元を待っているようにも見える。



谷中五重塔再建
イベント報告



1985年谷中住民と芸大が「再建準備委員会」を発足し
谷中五重塔の再建が叫ばれましたが・・・・・・・・・。
この街に再び、「谷中五重塔を再建したい!」との声があがり
谷中地区町会連合会会長 野池幸三氏のお力により
2007年07月 「第一回記念シンポジウム」が開催されました。

ここに活動報告の一端を記載いたしますので一読頂ければ幸いです。


第1回
谷中五重塔記念シンポジウム

2007・07・30/谷中コミュ二ティセンターで開催



2007年は「谷中五重塔が焼失50年」「幸田露伴没後60年」にあたります。
幸田露伴の五重塔再建を願って、今回 台東区の谷中コミュニティセンターにおいて
「谷中五重塔記念イベント」 が開かれました。

主催者の野池幸三さんは、三崎坂の乃池のご主人です。
主催者の野池幸三 氏 (谷中地区町会連合会 会長)

式次第
 日時  07・07・30 19〜21:00              
 開催場所  谷中コミュニティセンター  会議室
 主催  谷中地区町会連合会            
 基調講演
 「谷中五重塔について」
 前野まさる 様  芸大名誉教授・ほか
 「谷中五重塔
  今・昔・これから」を語る
 浦井正明 様
 海老名香葉子 様
 野池幸三 様
 東叡山寛永寺 執事長
 エッセイスト
 谷中地区町会連合会 会長
 総合司会  浅尾空人 様  谷中コミュニティ委員会 会長
 再建趣意書 朗読                谷中地区町会連合会 発行   

[基調講演]

芸大名誉教授・前野まさる様。
芸大名誉教授・前野まさる様による谷中五重塔の講演

1772年に消失後、1791年(寛政3年)に建立 1957年(昭和32年)に放火心中で全消した。
1772年に消失後、1791年(寛政3年)に建立
1957年(昭和32年)に放火心中で全消した。


復元的再建とは、新技術を導入せず従来の五重塔と同一品を建設する。
この五重塔を建立することで、江戸の文脈を広く国民に呼び覚ます機会となり誇りとなる。
現在ではまだ職人もおり、今が再建のチャンスである!との報告もあった。


「谷中五重塔 今、昔、これから」を語る


 右: 浦井正明  様      (東叡山寛永寺 執事長)
中: 海老名香葉子 様        (エッセイスト)
左: 野池幸三  様  (谷中地区町会連合会 会長)

上記3名の方々からお話があり、いずれも谷中五重塔にまつわる懐かしいお話でした。
この谷中の街並みに五重塔が似合う!と皆様 が強調されておりました。

いずれにしても、簡単に建設出来るものではないため、これから地道な活動が必要。
まず、地域の住民をはじめ多方面から「五重塔の再建」の署名活動を実施していきたい!
今年の「谷中まつり」では、積極的に署名運動を行っていく。
建設費用も台東区や東京都だけでなく、全国から広く支援を頂く必要があろうと・・・・。

海老名香葉子様
海老名香葉子 様

爆笑王の林家三平は、1979年の正月に脳溢血で倒れる。
一週間の昏睡後、右半身が麻痺し言語障害が生じたがリハビリを重ね年末に奇跡の復帰。
しかし、翌年秋には肝臓ガンで入院、間もなく他界。享年54歳。

このリハビリのために、根岸からこの五重塔跡に香葉子さんと来られたそうです。
当時の派出所、櫻さんに大変お世話になったとのことですが、
三平は、この五重塔跡に「新しく五重塔が再建されるといいなー」と言っていたそうです。

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当日貴重な意見が出ました!
五重塔の再建について千葉大教授?のお話があり、欅の材料を提供していただける
方々がいれば安価に再建できるよう協力できる。とのお話が出ました。
現在1/5程度の模型を製作中、完成出来れば五重塔跡に建てたい!との事でした。



この記事は「東京新聞 07年08月03日」から
「まずは地元から署名運動を展開する」とある。

平成19年10月から1ヶ月間 「谷中五重塔再建」の署名運動実施
平成19年10月06・07日 「谷中まつり」に合わせて、アドバルーン
  を五重塔の高さにあげて署名活動を実施した。
平成19年12月11日「谷中五重塔再建基金創設要望書」を台東区
  吉住弘区長殿あてに署名簿約6500人分を添えて提出した。



第2回
谷中五重塔記念シンポジューム
2007・08・18/天王寺ホールで開催


「谷中五重塔 今 昔 これから」 を語る
来賓の挨拶・紹介の後 司会 浅尾空人氏(谷中コミュニティ委員会会長の
進行でパネルディスカッションが行われた。


出席者(右から) 
末廣照純氏:谷中天王寺住(天王寺五重塔のいきさつについて)
加茂行昭氏:日暮里本行寺住職(五重塔の焼失の思い出と演劇公演について)
    前野まさる氏:芸大名誉教(五重塔の建築的・文化的価値について)
野池幸三氏:谷中地区町会連合会会長(総合司会)


パネルディスカッションを聞く皆さん

☆土地は「東京都の敷地」、ここに宗教色の強い五重塔を建てる
事の問題をクリヤーしていく必要もある。
☆再建には概ね八億円の費用が必要であるが、これらの費用は
台東区や地域住民だけでまかなう内容ではないだろう。

など各種の意見が出たが、
再建への希望を捨てず、前向きにいろいろな企画を立て、
東京のみならず各地域の協力を得て進める事が必要だと思う。

ココで「谷中五重塔跡」を地図で確認してみる

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五重塔の写真を写させて頂いた「谷中霊園事務所」


谷中霊園内にある東京でも珍しい駐在所


谷中霊園のさくら通り    (撮影日:08・02・14)
正面に日暮里駅脇のマンションが見えます。






上3枚の写真は満開の桜、09.04・05に撮影しました。


新派:澤田正二郎のお墓に桜が似合います。


保育園のお花見ですね!


茶屋町通り


人が集まる事で、門前町が出来て境内の入り口付近に茶屋が出来た。
中でも、いろは茶屋には、江戸三美人の一人と言われた「笠森おせん」がいて人気を呼んだ。
明治になって谷中霊園となり、茶屋町は墓参の休憩所をかねた花屋となっている。

まさしく茶屋町の景色ですね!
今も残るお茶屋(左:三原家 右:おもだかや)

   
三原家の看板


茶屋町「おもだかや」の全景


「おもだかや」の看板


おもだかやの家を描く岡本忠士さん
この写真は08・04・06に撮影しましたが、04・09にまたお逢いしました。

国の登録文化財:出桁造りです。
茶屋町通りの「花重」 明治3年創業

☆この花重を通り越して広い通りに出たらこの道を右にバックします。
千駄木駅方向に向かう事になりますが、約200mほど歩くと
雑貨屋さんがありますのでココを左に曲がります。
ココから約100mほど進み右に曲がると瑞輪寺があります。




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三崎坂 朝倉彫塑館 谷中銀座 天王寺 (谷中五重塔) 瑞輪寺
旧吉田屋酒店 浄名院から寛永寺そして一乗寺 根津の街

根津神社 根津と串かつはん亭 散策コース外

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