水天宮と人形町
2010年06月24日



久しぶりの好天気に恵まれ、今日はカメラを提げて、水天宮と
甘酒横丁や人形町通りを見て歩きました。

私の妻が妊娠し水天宮を訪問。その後のお礼参りや次女の時も訪問しました。
安産祈願で数回訪問していますが、30年以上前の話になりますね。
その後も東京見物の機会があり訪問していますが、なんと
「こんなにビルに囲まれていなかった!」との思いが・・・・・・・!

国内に3店しかない葛篭(つヾら)製造販売のお店を快く入店させて頂き、
いろいろとお伺いしました。やはり下町だなーとしみじみ思ったものです。
近くに「三味線」のお店も有りました。




水天宮
安産の神様で何とも有名ですね!


水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市の水天宮(久留米水天宮)を総本社とし、
ほぼ日本全国にある神社だそうである。

水と子供を守り、特に水難除けに縁があり、安産・子授け・子育てについて信仰が厚い。
水天宮の縁日は、毎月5の日(5日・15日・25日)とすることもあるが、
犬のお産が軽いことにちなみ、特に「戌の日」に安産祈願で賑う神社だ。

 



御由緒が書いてあります。 (上の写真の提灯の左に掲げれています。
下に大きくし2枚にして載せましたので多分読めるでしょう?







ココからが水天宮の境内です



境内を入り{本殿を望む (昭和42年に今の権現造りになったと!)


平日の昼でも並んでのご参拝です。


お守りを購入するのも長い列でした。
また、ご祈祷をお願いすると順番が、スピーカーから流れます。


本殿脇の休み所


お礼参りの姿


何とも素晴らしい!


昭和4年の写真です。(1929年)
市電が走っていたのでしょうか?大変な混雑に驚きます。

 
昭和何年とは書いてありませんが、ほぼ上と同時代だと・・・・。
人形町の人出は昔の方が多かったとみえますね!
(いずれも休み所にありました)


境内に有りました。

 
左は河童?の親子   右は「犬の親子」


境内には、子供のおもちゃ屋さんが出ていました。


昔の水天宮の絵ですがいつの物か解りません。
皆さん人力車で通われたので明治でしょうか?
(本殿前の休憩所に掲げられていました)

「水天宮」 安産のお守りとして、すごいものだと改めて思いました。
赤ちゃんの誕生は必ず正常でありたい!と誰もが願うものです。
生まれるまでの心配! 生まれてからの心配!
子供に育て上げる迄の心配!等など
明確ではないことばかりの人生、神様にお願いする心も大切な心だと・・・・・。


特に初産は皆さんお世話になる方が多いでしょうから混雑しますね!


水天宮の隣にある「駄菓子屋」   いや、めずらしき珍しき・・・・・・。






人形町の賑わい


江戸時代、現在の日本橋人形町三丁目の「人形町通り」に
歌舞伎小屋の中村座と市村座があった。
また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居結城座も行われていた。

「人形遣い」が多く住んでいたから人形町と名付けられた!と言われている。
江戸時代においては、大坂町、島町、住吉町、和泉町、堺町、芳町があり、
1933年「昭和8年)に正式にこれらの町名が「人形町」という町名に変更されたようだ。


何と言っても「人形町通り」と「甘酒横丁」が街の人気を
盛り立てていますね!

1951年(昭和26年)今はないが東京で初めて「アーケードが作られた」らしい!

☆画像をクリックすると人形町の地図がリンクされていますが、
その地図の上部にある大きさの設定を当初の20,5%から50%に
変更して見ると丁度よいと思います。

水天宮を拝観しお腹がすいてきましたので、お金があれば
ミシュラン三ツ星の料亭初の玄冶店「濱田屋」でも行きたい
ところだが、お昼でも2万円ではいけません。

結局、おすし「三崎丸」で安価に済ませました。


おすしの三崎丸(人形町通り)

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人形町に来れば何と言っても東京名物「重森の人形焼」だ。
見ているとほとんどの方がお店を覗き購入する人が目立つ。
(水天宮に近い人形町通り角)

  
お客さんが少ない時に写しましたが、奥の方で一生懸命焼いていました。



「甘酒横丁」の通り



人形町で見た昔の木造3階建の家(甘酒横丁)


何と言っても甘酒横丁にある鯛焼き屋 並んでない時がないように見えた。
「柳家のたい焼き」地図には高級鯛焼き本舗とありました。


「下町の散歩道」の旗が多く立てられてました。


勧進帳の弁慶像
(甘酒横丁から入れるにある浜町緑道)


いや、とうとう明治座に来てしまいました。

気になるのは「歌舞伎座」のビル化。
何とか以前の姿を思い出す建築にしてもらいたいですね!



岩井つづら店 「つヾら製造販売」
日本に三店しかない葛篭(つづら)の専門店です。

「ツヅラフジ」のつるが丈夫で加工しやすいことから、つる状のものを編んで作る籠のこと。
材料名から「葛籠」と呼んだようだが、原材料が今では竹に変わったが呼称だけ
「葛籠」という字があてられたまま「つづら」と呼ばれている。
植物のつるを編んで作る籠は縄文時代から作られ、運搬に利用されていた。

ツヅラフジで作られた葛籠は正倉院に所蔵されている。
平安時代に入り竹を加工する技術が確立されると、幅を一定にそろえやすい特徴から
衣装を保管する箱として、四角く作られるようになった。

竹製の葛籠の制作は、、細く幅をそろえた竹を縦横に編み、四角い箱の形を作る。
中に和紙を貼り込んでいく。ここで使われる和紙は古い帳簿などがリサイクルされた。
角には補強材として古い蚊帳の生地をあてた。こうして作られた箱に柿渋を塗り、
漆塗りを経て完成。(現代ではカシューが使われることが多い)
家紋や名前が入れられる場合も多い。

竹製なので軽く、通気性が良く、柿渋と漆の効果で湿度を適宜に保ち、
防虫と抗菌の効果がある。
耐用年数は100年以上とも言われ、その頑丈さは放り投げてもばらばらになりにくい。
よのため、粗雑に扱われても中に保管していたものを守りやすいという特徴を持つ。


甘酒横丁にある岩井つづら店

 

 

 
下の女性いろいろ見せて頂き注文をしてました。
家紋や名前を入れておおむね4か月かかりそう。

とにかく昔から一般人のつかうものでないでしょう!
ちなみに歌舞伎の方たちは?とご主人に聞いたら移動が激しいので
このつづらは使わず木製の箱を使っているようでした。


これは、ショウウインドウの裏面ですが、古いも物のように見えますが?
と聞きましたがそれほどでもないよ!との回答でした。
屏風のように見えましたが・・・・・。

このような職人さんが少なくなった「日本の伝統」
徐々に西洋文化が受け入れられ、少し淋しいですね!



人形町通りに戻る


各種のお店が両側に並ぶ人形町のメイン通りですね!




写真のからくり時計が 人形町とおりの左右歩道に有りました。
上の3枚の絵が時間で変わるように見えましたが・・・・・。


下の部分は「纏いのからくり人形」ですね!





上の写真の灯篭脇の立て札です。




上の写真の手前にありました。


大観音寺の脇に防火用水用の井戸が有りました。
ご近所の方が使っています。


火乃要鎮の文字がシャレていますね!


明治から続く人形町の名店


一風変わった建物が何とも良いですねー!

下町情緒溢れる人形町で、1884(明治17)年から続く老舗和菓子店。
名物は焼き芋そっくりの「黄金芋」。
黄金芋にまぶされたニッキの上品な香りが、お店の外にも漂います。
向田邦子のエッセイに、「東京土産として重宝」と記載されていると!
年末年始やお盆など帰省の時期には売り切れることもあるようだ。

他にも「羊羹」や「もなか」などが人気商品がずらり。
お店に入るとお茶を出してくれる、下町ならではの
温かなもてなしに心が和む。とあります。

上記文章は 「Savarin」から抜粋です。








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新設2010年06月25日    Counter   制作   大野 巌    更新2010年07月05日