私の家族と父の刺繍



実は、明治初期から明治40年頃まで私の家は「テキヤ」であった。
祖母「ます」は一人娘の江戸っ子。 
その父「佐惣治」は「鼠屋」の屋号で縁日などの地割をしていた。
駒込の三吉親分にみこまれて「駒込富士神社・湯島天神・芝愛宕神社の縁日」や
「今川橋の丸太河岸・上野広小路などの松飾り」の地割を任されていたと言う。

父の佐惣治、亡きあと長女の「ます」がテキヤのあとを継ぎ、
長男「伊三郎」(私の父)を背負って地割をした事が記録されている。
ますはその後「テキヤをやめて知人に一切を任せた!」との話になっている。
養子に迎えた祖父「信之助」は、神田の青物市場で働く色男だったと聞くが
ろくに仕事もしない優しい男だと。
それだけに、「テキヤ」はとても向かない気性だったのだろうか?

貧乏な暮らしに家賃を払えず、上野池之端近辺を14回も引越した。
と父の記録に厳しさがただよう。
とにかく友人の玄関に2回も居候したとあり、
今のネットカフェ難民よりひどい生活だったはず。
信之助に愛想がつき、二度も別れたが息子の伊三郎のことを考え、
またよりをもどし一緒の暮らしをしていた。

父「伊三郎」は明治31年生まれ、今生きていれば110歳である。
子どもの頃から絵が好きで画家を希望していたが、
「画家では親の面倒を見ることができない!」
と周囲から反対されて、知人の紹介で刺繍職人となった。
貧乏な生活はコリゴリ、そこから抜け出そうと刺繍に精をだす日々だった。

私は、昭和20年の太平洋戦争終結2年前に生まれた。
今の住まいである東京都台東区谷中での誕生だ。
父は戦時中、軍隊に行かず軍服や帽子につける軍の徽章を刺繍したが、
仕事が多く間に合わず、近所の奥様方に教えるなど多忙だったらしい。

しかし数回の空襲で、
台東区から母の親戚である足立区伊興町に疎開した経験がある。
現在はビルが重なる足立区だが、
当時は家の前に川が流れており、周り一面が畑だった。

昭和22年この台東区に戻り、焼け野原に「バラックの家」を建て
一家5人で住み、庭に「とうもろこし」などを植えて飢えをしのいだ。
父・母・祖母に姉と私であるが、現在は淋しいかな姉も亡くなり私だけだ。


昭和28年当時の家族  父:伊三郎 母:千代 姉:春江                 祖母:ます 私(小学4年生)
昭和28年(1953年)の写真だと思う。

当時50m先の三崎坂が家から見えた!と父から聞いた。
ホンの60年前の話なのに今はビルが増えて・・・・・・。
当時の台所は土間、母は薪でご飯を炊いている姿を思い出す。
もちろん白米ではなく、毎日が「麦ご飯」だ。
家族水入らずの生活であったはずだが、
淋しいかな当時を思い出せないのが残念だ!

戦後、徐々に仕立ての洋服屋さんが開業し背広のネームや、
立川の「米兵の徽章」の刺繍で生計をたてた。
私が中学に入る頃には「ミシン刺繍」が流行し、
手縫いの刺繍業は徐々に少なくなっていくのである。

機械化の始まりで、
私は手仕事の刺繍屋を継ぐことが出来る状況ではなかったのだ。

その後ネームの仕事もなくなり、
私が余りにも字が下手、で近所の方々と一緒に父から習字を教わった。
父は、若い頃から書道が好きで先生につき習ったが、
今でも書棚には中国の書が多くある。
一時期そろばんが大流行したが、我が家の「お習字の会」も流行り
近所の子供達が大勢来てくれたのである。

子どもたちは、墨はこぼすし母も忙しい日々が続いた。
が、父は7年後の昭和39年に突然脳梗塞で倒れた。
半身不随で左肩が下がり、左手も利かない。
が2年間のリハビリ生活で回復したのだ。
毎日一生懸命に歩いたのが良かったのだろう、
驚くほどの回復力で一般生活に全く支障がなくなった。

その後、父は身体に自信がついて何かを始めたい!との事、
母も含めて話し合いの結果「刺繍を教えたらどうか!」と・・・。
朝日新聞に「無料で教える日本刺繍」と掲載して頂き、
大勢の方が刺繍を習いに来たのだ。

若い時から好きな刺繍を刺していたが、
本格的に作品に打ち込めたのは少し余裕が出来たこの頃である。

昭和47年の話だが、「今日も会社は遅刻か!」と怒鳴られた。
その昼過ぎ、母から会社に電話が入ったが会議中だった。
家からの電話は、必ず対応することが必要なのに・・・・・・!
もちろん間に合わず、父は心不全で突如他界したのである。

「頑固な江戸っ子」との別れは辛く 涙涙
 だった。
刺繍を習いに来た若い方々に見送られ旅立ったが、
余りにもあっけない死にこの先どうしたらいいのかと!


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私はサラリーマンを退職後、約2年半ほど他の職についたが
「父の刺繍作品」が気になり、
作品をHPで配信したいと2004年2月にパソコンを購入した。
その5月にやっと父の刺繍作品を立ち上げました。

その後、父の他界後35年を機に「父の刺繍展」を開催したいと・・・・・・。
私の住む谷中に開店した「ギャラリー・TEN」にて、
2007年10月23日から2週間開催することにした。
約40点の展示だが、作品と額の選択・屏風屋さんとの交渉・
展示品の配置決め 等、楽しい事ばかり。

久しぶりに妻と一緒に共同作業したことが忘れられない。

初めての「父の刺繍展」でもあり、友人・学友・知人にご連絡を差し上げ、
多くの方にお越しいただきました。
当時刺繍を習っていた2名の方にもお逢いできましたが、
皆様方に刺繍についてのご説明をされておりました。

お陰様で誠に盛況な刺繍展となり、「父上も喜んでいるでしょうね!」
とのお言葉を頂きうれしい限りでした。
予想を超える多くの方にご来場を頂き、誠にありがとうございました。
厚く御礼申し上げます。

                 2008・08・13   大野 巌 




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